(ジャパンカップで返し馬に入る、現役競走馬時代の、Mr.C.B. ミスターシービー)
ミスターシービーは、トウショウボーイを父に、シービークインを母に持つ、黒鹿毛の馬、これが、ミスターシービー(Mr.C.B.)である。
Mr.C.B.「ヒヒ~ン!」
Mr.C.B.「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」
Mr.C.B.「パカッ!」
Mr.C.B.「ヒヒ~~~~~~~~~~~ン、ブルルルルルルルルルル!」
ミスターシービーは、1980年4月7日・北海道浦河郡浦河町の岡本牧場で千明牧場の名義により生まれた、黒鹿毛のサラブレッド、それが、ミスターシービーである。
ミスターシービーの名前の由来は、千明牧場のイニシャル、C.B.で、当時のミスターといえば、東京読売巨人軍(ジャイアンツ)の長嶋茂雄という野球の選手で、トウショウボーイとシービークインの仔である、シービークインの一に、Mr.(ミスター)の称号を贈ったのであるから、ミスターシービーの名が生まれたのである。
(千明牧場は過去・ブライオリーパークの子馬にも、同じ名前(初代)を付けたことがあり、千明大作さんの父・賢治さんにより、日本ダービーに出走させた経緯があるが、この時は、ヒサトモの10着に敗退している、千明牧場は、スゲヌマという、同牧場産のサラブレッドで日本ダービー(当時・東京優駿大競争と呼ばれた。)を制覇しており、1963年のメイズイでも、同競争を制覇させたことがある。)
Mr.C.B.「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒヒヒ~ン!」
北海道・日高山脈に囲まれた、浦河町の岡本牧場で、シービークインの一(Mr.C.B. ミスターシービー)は、幼年時代を過ごした。
Mr.C.B.(シービークインの一)「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」
ミスターシービーは、大きい蹄(ひつ“目)を鳴らしながら、走った。
野性の男雄児・ミスターシービーは、日高山脈の自然に抱かれながら、たくましく育っていく馬である。
Mr.C.B.「ヒヒ~ン、ブルルルルルルルルルル!」
数か月後、シービークインの一(Mr.C.B. ミスターシービー)は、母・シービークインと別れた。
Mr.C.B.「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン!」
ミスターシービーは、日高山脈の空に、大きい雄たけびでいななき、叫んだ。
ミスターシービーは、日高山脈ので育てた馬で、翌年の3月には、群馬県・利根郡・片品村の千明牧場・本場に、育成のためやってきた。
産地馬体検査を受検した直後ということもあり、美浦・松山泰久厩舎に入り、関東馬として新たなスタートを切った、ミスターシービーは、ゲート試験を受けて合格し、競走馬のための調整をした上で、1982年11月11日・東京競馬場でのサラ系3歳(現・2歳)榛葉線(メイクデビュー・東京)でデビューを迎えるのである。
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