BOUQUET FRAGRANCE’ S BLOG 2

競走馬の話題を中心に紹介します。

Mr.C.B. ミスターシービー(みすたあしいびいぃ)種牡馬生活編・1

1985年10月6日・あいにくの雨の降る中、東京競馬場で行われた、Mr.C.B. ミスターシービーの引退式には、1984年10月28日に同場で行われた、第90回・秋の天皇賞で2着のテュデナムキングの追撃をものとせず、1分59秒3のレコードタイムで優勝、四冠を達成すると共に、完全復活を果たした時の、ゼッケン番号・13番で登場、多くの競馬ファンに見送られて、ミスターシービー Mr.C.B.は、3年間過ごした、競走馬生活に終止符を打ったのである。

北海道・日高山脈に抱かれた、日高振興局管内・浦河郡浦河町の岡本牧場で、千明牧場の名義により、父・トウショウボーイ 母・シービークインの仔として生まれた、シービークインの一を血統名に持った、Mr.C.B. ミスターシービー

 

千明牧場で生まれた男馬という意味を持ち、千明牧場を代表する馬になってほしいという意味合いから、Mr. ミスターの称号を贈ったことから命名された、ミスターシービー Mr.C.B.!

 

19年ぶりに三冠達成を果たすなど、15戦8勝の成績を残した、黒鹿毛サラブレッドで、野性の檀雄児・ミスターシービーでありながら、次世代の三冠馬 皇帝馬・シンボリルドルフ SYMBOLI RUDOLFを倒すことが出来ないまま、競争生活に終止符を打ち、ターフを去った、Mr.C.B. ミスターシービー

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、種牡馬となり、北海道での、第2の馬生を送ることになる。

 

美浦トレーニングセンター松山康久厩舎。

 

10月6日に東京競馬場で行われた、引退式を終えて、出張厩舎に戻った、ミスターシービー Mr.C.B.!

 

1982年(昭和57年)4月の入厩依頼、3年半過ごしてきた、ミスターシービーは、種牡馬生活を送るため、美浦トレーニングセンター松山康久厩舎に戻った後、疲れを癒しては、過ごしたのである。

Mr.C.B.「ブルルルルルルルル!」

ミスターシービーは、大きい鼻息を鳴らした。

 

美浦トレーニングセンターでの最後の日。

Mr.C.B.「ヒヒ~ン!」

 

ミスターシービーは、大きい雄たけびでいなないた。

 

長い、競走馬としての、生活をしてきた、ミスターシービーは、黒鹿毛の美しい馬体を、揺らして、リラックスをして来た。

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、北海道・浦河の大地に抱かれて育った、黒鹿毛の馬である。

 

ニンジンが嫌いという、Mr.C.B. ミスターシービーの競争生活時代の2年目の時(1983年)の秋・第44回・菊花賞(11月13日・京都競馬場)で、シンザン以来19年ぶりに三冠達成を果たしていて、繫殖牝馬として生活を送り、この年に繫殖牝馬を引退した、母・シービークイン C.B.QUEENに勝利の雄たけびを鳴き続けた。

その時、テレビ・ラジオの実況中継の放送で流れた言葉が、怪物・ミスターシービー、お前は怪物だ!とか、大地が弾んでミスターシービーだ、の言葉が出たのである。

それも、想い出の話になりつつある。

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、美浦トレーニングセンターでの調教後、汗を吸い取るため、砂浴びをして汗を取ったのである。

放牧番場で、ミスターシービーは、鬣を揺らし、顔を上げ下げしては、自由な生活をしていたのである。

 

Mr.C.B.「フー!」

 

ミスターシービーは、気持ちいい息を吹きかけてやったのである。

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、私生活でも、大きくて臭い緑色のうんこを落として体を整えて行く馬である。

Mr.C.B.「ヒヒヒヒヒヒ~ン!」

ミスターシービーは、浦河の大地を想い出しながら、鋭い声でいななく馬、これが、ミスターシービーである。

Mr.C.B.「ヒヒ~ン、ブルルルルルルルル!」

その頃・Mr.C.B. ミスターシービーの所属管理厩舎の、美浦トレーニングセンター松山康久調教師は、グッドルッキングホース・Mr.C.B. ミスターシービーの登録抹消願いを提出するため、東京都・港区・西新橋にある、日本中央競馬会・本部を訪れ、トウショウボーイを父に、シービークインを母に持つ、ミスターシービーシービークインの一)の抹消願を提出、受理されたのである。

 

いよいよ、Mr.C.B. ミスターシービーが、美浦トレーニングセンターと別れる時がきた。

 

松山康久厩舎には、馬運車が着き、1982年(昭和57年)4月に入厩して以来、長く過ごした、Mr.C.B. ミスターシービーは、スタッフの人に送られて、馬運車に乗り込んだのである。

Mr.C.B.「ヒヒ~~~~~~~~~~~~ン!」

 

ミスターシービーは、鋭い雄たけびでいななきを鳴らしたのである。

 

11月28日(登録抹消の日)・Mr..C.B. ミスターシービーは、長く在厩した、美浦トレーニングセンター松山康久厩舎を出発、北海道・胆振総合振興局管内・勇払郡早来町(現・安平町)・早来源武276番地にある、社台ファーム・早来牧場(→社台スタリオンステーション・早来)へ二度と帰らぬ長い輸送の旅(青森港~函館港間はフェリーを利用)についたのである。

 

Mr.C.B.「ブルルルルルルルル!」

Mr.C.B.「ファ~~~~~~~~~~~~!」

Mr.C.B.「フ~!」

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、馬運車の中であくびをしたのである。

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、気持ちよく眠りにつき、黒鹿毛の馬体を休めたのである。

 

1985年12月・社台ファーム・早来牧場(→社台スタリオンステーション・早来)

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、美浦トレセンから、長い旅の末、繫養先の社台ファーム・早来牧場(→社台スタリオンステーション・早来)に到着、馬運車を降り、着地検査を受けた後、種牡馬厩舎の、「ミスターシービー Mr.C.B. 牡 毛色・黒鹿毛」の馬房に入り、長い馬運車での移動を終えて、疲れを癒しました。

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、社台ファーム・早来牧場(→社台スタリオンステーション・早来)での、新生活を始めたのである。

 

Mr.C.B.「ヒヒ~ン、パカパカ。」

 

Mr.C.B.「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

 

Mr.C.B.「パカッ。」

 

Mr.C.B.「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン!」

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、大きく、鋭い雄たけびでいななきたのである。

 

Mr.C.B.「ムフ、ムフ、ムフ、ムフ!」

 

Mr.C.B.「ウ~~~~~~~~~~~~!」

Mr.C.B.「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト!」

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、大きく、緑色の臭いうんこ(💩)を落としてやった。

 

Mr.C.B.「ブルルルルルルルル、ブルルルルルルルル!」

 

雄大な北海道の大地で、種牡馬として、Mr.C.B. ミスターシービーは、活動を始める。

 

Mr.C.B.「ヒヒ~ン!」

 

1986年(昭和61年)2月、ミスターシービーは、種牡馬としてスタリオンパレード・1986に初めて登場し、お披露目をした後、この年から種牡馬として供用を開始するに至った。

 

Mr.C.B. ミスターシービーの生産地・日高地方の牧場から、種付けの申し込みの電話がジャンジャンなり始め、社台ファーム・早来牧場で新種牡馬として、供用を開始した、Mr.C.B. ミスターシービーには、繁殖牝馬となった牝馬たちが日高振興局管内の各町から相次いで殺到したのだ。

 

種付け場には、繁殖牝馬となった牝馬たちが日高振興局管内の、新冠町・浦河町などの各町の牧場から来ていて、順次・Mr.C.B. ミスターシービーを配合種牡馬として種付けをこなしたのである。

 

種付け配合終了後の、Mr.C.B. ミスターシービーは、放牧場に移動し、大きい蹄を鳴らしては、牧草の生える放牧場を駆け回った。

 

Mr.C.B.「ニョロ、ニョロ、ニョロ、ニョロ、ニョロ、ニョロ、ニョロ!」

 

Mr.C.B.「バシャ~~~~~~~~~~~~~~~!」

 

Mr.C.B.「ジャ~~~~~~~~~~~~!」

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、大きく気持ちいい緑色のおしっこ(尿)を出したのである。

 

種牡馬厩舎に戻った、Mr.C.B. ミスターシービーは、餌を食み、大きい緑色のうんちを出しては、臭いうんちの匂いを嗅いだのである。

 

Mr.C.B.「ヒヒ~ン!」

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、大きい嘶きを鳴らして、黒鹿毛の男馬であることをアピールし、そして、ごろんと横たわって、眠りにつき、夢を見たの尾である。

 

ミスターシービーは、1987年(昭和62年)には、初めての産駒を出産し、ミスターシービーチルドレンとして、ミスターシービー産駒の幼年生活を、日高地方の牧場で送り始めたのであり、第1号産駒が、コックピット(操縦席・英)の競争名で、中央競馬に、初めての、Mr.C.B. ミスターシービー産駒の競走馬デビューを果たしているのである。

種牡馬生活編・2へ続く。)