BOUQUET FRAGRANCE’ S BLOG 2

競走馬の話題を中心に紹介します。

Mr.C.B. ミスターシービー(みすたあしいびいぃ)7

1983年11月13日・京都競馬場

 

伏見区・淀にある、京都競馬場は、全国にある、日本中央競馬会所有の競馬場では、2周するコース(3000m・3200m)の重賞競走が二鞍(菊花賞天皇賞(春))行われることで知られていて、ここで、第44回菊花賞が、第11競走として行われたのである。

 

皐月賞中山競馬場)・東京優駿大競争(日本ダービー 東京競馬場)と制覇してきた、Mr.C.B. ミスターシービーにとって、三冠競争の最終関門に当たる、菊花賞は、セントライトシンザンと達成して来た、三冠馬に輝く最後の挑戦競争、Mr.C.B. ミスターシービーは、ゼッケン番号・9番での出走となる。

実は、三冠を達成した競走馬も、1964年(昭和39年)のシンザン(Shinzan)以来、19年間、三冠達成した馬がいない状態が続いていて、Mr.C.B. ミスターシービーが、果たして、三冠馬に輝けるのか、期待したい一頭である。

 

前走・トライアルの、京都新聞杯に参戦した、Mr.C.B. ミスターシービーは、夏風邪の為か、カツラギエースに敗れて、通算で2回目の敗戦を帰した、今回、Mr.C.B. ミスターシービーは、巻き返して、勝利させることが出来るのか、注目の競争に、望むことになる。

 

前々走・東京競馬場で行われた、第50回・日本ダービーを制覇し、二冠を達成した、Mr.C.B. ミスターシービー、グッドルッキングホースとしてのプライドにかけて、三冠達成にむけて、走り続ける。

馬名・Mr.C.B. ミスターシービー(千明牧場で生まれた男馬・英)は、京都新聞杯に次いで、2回目の京都競馬場本馬場であり、サラブレッドマーチに乗って行進する。

 

秋が過ぎて、冬も近い11月中旬とはいえ、グッドルッキングホース Mr.C.B.(ミスターシービー)を見ようという競馬ファン京都競馬場に来ていて、ゼッケン番号・9番で、単枠指定馬としての出走となる、ミスターシービー(Mr.C.B.)の馬券を購入しようと、ファンたちは、勝馬投票券発売所に行って、ミスターシービー単勝馬券を中心に購入していて、前日発売の分も合わせると、多くの競馬ファンの購入した勝馬投票券の多くは、Mr.C.B. ミスターシービーに投票したとのことである。

グッドルッキングホース ミスターシービー Mr.C.B. 三冠達成の最終関門・第44回 菊花賞のゲートインが、ファンファーレと共に、始まる。

すでに、輪乗りを行われている、京都競馬場、これから第44回・菊花賞の枠入りがファンファーレと共に、始まるのである。

グッドルッキングホース Mr.C.B. ミスターシービーは、ゼッケン9番を付けており、1番人気に支持されていた。

Mr.C.B.ミスターシービーは、9番ゲートに誘導を受け、収まるのである。

グッドルッキングホース・Mr.C.B. ミスターシービーの三冠競争の最終関門・菊花賞の幕が開ける。

15時45分・ゲートオープンと同時に、臺44回・菊花賞のスタートが切られたのである。

グッドルッキングホース Mr.C.B. ミスターシービーは、出遅れて、後方からのスタートとなった、ミスターシービーは、前へ行かせようと、走り出して行く。

1週目の正面スタンド前を、ミスターシービーは、大きい蹄をたてながら、ゴールイン板を通過、2周目の、第1コーナーのカーブを曲がりきる。

1980年(昭和55年)4月7日・北海道・日高振興局管内・浦河郡浦河町の、岡本牧場で、千明牧場の名義により、シービークインの一として生まれた、グッドルッキングホース Mr.C.B. ミスターシービーは、800mの標識を通過し、3コーナーのカーブを過ぎて、4コーナーの直線コースに入り、ぐんぐんと伸びて行ったのである。

Mr.C.B.「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

 

Mr.C.B.「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒヒヒヒヒ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!」

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、北海道・浦河の大地を想い出しながら、鋭い雄たけびでいななく馬である。

Mr.C.B.「ヒヒ~ン!」

 

Mr.C.B.「ブルルルルルルルル、ブルルルルルルルル!」

 

ミスターシービーは、大きく荒い鼻息を鳴らす馬、これが Mr.C.B. ミスターシービーである。

 

ミスターシービーは、トウショウボーイを父に、シービークインを母に持つ馬である。

繁殖牝馬として繫養生活を送った、母・シービークイン C.B.QUEENは、グッドルッキングホース Mr.C.B. ミスターシービー以外は、不受胎となっていて、この年で繁殖牝馬を引退、千明牧場・三里塚分場(千葉県・成田市・本城)で、グルームドウターと一緒に。功労馬となり、2004年に牝・33歳で逝去されるまで、同場で余生を送った。

Mr.C.B.「ブルルルルルルルル、フー!」

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、気持ちいい息を吹きかけてやる馬である。

 

ミスターシービーは、浦河の牧草で育まれた、顔立ちのよい馬であり、シンザン以来、19年ぶりの三冠馬となり、達成された。

この後・美浦に戻った、Mr.C.B. ミスターシービーだが、蹄を痛めたので、有馬記念を回避すると共に、4歳馬での競争生活を終えていて、1983年(昭和58年)の優駿賞年度代表馬及び最優秀父内国産馬に選出されたのである。

ロサンゼルスオリンピック夏季オリンピック・ロサンゼルス大会)の年の1984年(昭和59年)は、Mr.C.B. ミスターシービーが、牡・5歳(現・牡 4歳】になって、東京競馬場で行われた、毎日王冠から復帰するも、カツラギエースの2着に終わり、3連敗となった。

同年10月28日・同じく東京競馬場で2000mに短縮して行われた、第90回・秋の天皇賞では、Mr.C.B. ミスターシービーは、ゼッケン番号・13番で出走、2着のテュデナムキングの追撃をものとせず、1分59秒のレコードタイムで優勝、四冠を達成すると共に、完全復活をアピールした、これが、Mr.C.B. ミスターシービーの、最後の勝利競争となったことは、想像もつかない事である。

グッドルッキングホース・Mr.C.B. ミスターシービーは、ジャパンカップにゼッケン・1番で出走するも、カツラギエースに敗れ、連敗を帰した他、グランプリ・有馬記念でも、参戦して完全復活をアピールする機会の1つだったが、皇帝馬・シンボリルドルフに敗れて2連敗、牡・6歳(現・牡・5歳)の1985年(昭和60年)には、サンケイ大阪杯(現・産経大阪杯)に駒を進めたが、ステートジャガーの2着に敗退した。

 

1985年(昭和60年)4月29日・京都競馬場で行われた、第91回・春の天皇賞に、五冠馬達成と復活をかけて参戦したが、3200mという、2周の長丁場故に、一旦は先頭に立つも、スズカコバンにかわされて、ズルズル失速し、第4コーナーから直線コースに入ったところで、次世代の三冠馬・皇帝馬 シンボリルドルフにかわされて失速し、5着で競争を終えた、それが、Mr.C.B. ミスターシービーの最後の戦いとなったのである。

 

15戦して8勝の成績を収めながら、次世代の三冠馬 皇帝馬・シンボリルドルフを倒せないまま、骨膜炎という軽い炎症が引き金となり、馬主の丸沼温泉ホテル・千明牧場・所属厩舎の、松山康久厩舎(美浦トレーニングセンター)と、グッドルッキングホース・Mr.C.B. ミスターシービーの今後の対応について、協議した結果、惜しくも現役を引退することを決め、1985年(昭和60年)8月28日に発表されたのである。

 

1985年(昭和60年)10月6日 グッドルッキングホース・Mr.C.B. ミスターシービーの引退式が、あいにくの雨の降る中、デビュー地の東京競馬場で行われ、Mr.C.B. ミスターシービー(父・トウショウボーイ 母・シービークイン 毛色・黒鹿毛 牡・6歳 血統名・シービークインの一)が、同場で行われた、第90回・秋の天皇賞で、2着のテュデナムキングの追撃をものとせず、1分59秒のレコードタイムで優勝、四冠を達成すると共に、完全復活を果たした時の、ゼッケン番号・13番で登場、競馬ファンが惜しまれつつターフを去っていく、グッドルッキングホース・Mr.C.B. ミスターシービーを追い込み馬として花開く姿を見つめつつ、現役競走馬生活に終止符を打ったのである。

 

グッドルッキングホース・Mr.C.B. ミスターシービーは、1986年(昭和61年) 牡・7歳(現・牡 6歳)の時に、北海道・胆振総合振興局管内・勇払郡早来町【現・安平町】・早来源武276番地にある、社台ファーム・早来牧場【現・社台スタリオンステーション】に種牡馬としてスタッドインし、途中、同・日高振興局管内・静内郡静内町【現・日高郡新ひだか町】のレックススタッドに移動しながら、シャコ-グレイド・スイートミトゥーナ・ワイルドバッハなど、たくさんのMr.C.B.CHILDREN ミスターシービーチルドレンを出し、1999年(平成11年)秋の種付けシーズンをもって、種牡馬を引退するまで、繫養生活を送り、2000年1月から、千葉県・成田市・本城にある、千明牧場・三里塚分場で同年12月15日・蹄葉炎による衰弱の為、牡・20歳(人間に例えれば、60歳~70歳前後)で死亡するまで、功労馬として、余生を送った様である。

ぼくの心の中には、競走馬時代のMr.C.B. ミスターシービーがいる。

 

今後も天国で眠っている、グッドルッキングホース・McC.B. ミスターシービーを見守っていこうと思うのである。

 

グッドルッキングホース・MrC.B. ミスターシービーの更なるご冥福をお祈りしたい。