BOUQUET FRAGRANCE’ S BLOG 2

競走馬の話題を中心に紹介します。

Mr.C.B. ミスターシービー(みすたあしいびいぃ) 種牡馬生活編・2

1986年(昭和61年)から、1999年(平成11年)11月の種付けシーズンで引退するまで、種牡馬として繫養生活を送った、Mr.C.B. ミスターシービーは、これまでに多くの、産駒を輩出した、これらは、Mr.C.B.CHILDREN(ミスターシービーチルドレン)として、競走馬として中央・地方の競馬場で生活を共にしたのである。

 

1987年の秋・ライバルで、皇帝馬のシンボリルドルフ SYMBOLI RUDOLFが、種牡馬入りし、繫養生活を送り始めると、ミスターシービー Mr.C.B.は、種牡馬としての活動は、冬の時代を迎えるのである。

 

Mr.C.B. ミスターシービーと同じ、1980年生まれで、同世代のシュアンス SHUANCE(不出走)と、種付け配合されて、日高振興局管内・新冠郡新冠町の川島牧場で、1頭の仔馬・シュアンスの1988が生まれ、三冠馬だった、ミスターシービー Mr.C.B.の血も流れた産駒であり、後に、(株)シャコ-に購買され、シャコ-グレイド SHAKO GLADEの競争名で、中央競馬で45戦2勝の成績を残した、日本ダービーでは、シャコ-グレイドとトウカイテイオーの、ミスターシービーチルドレンとシンボリルドルフチルドレンの対戦があり、三冠達成を果たした馬の産駒が激突戦を繰り広げたことは、有名な競争として語り草になっている。

 

平成3年(1991年)には、社台ファーム・早来牧場(→社台スタリオンステーション・早来)から、同じ、北海道・日高振興局管内の、静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)のレックススタッドに移動した、Mr.C.B. ミスターシービーは、隣の、浦河郡浦河町民の歓迎を受けての、新種牡馬生活を送り始める。

 

ここでも、スイートミトゥーナ・ワイルドバッハ・サンヨウアロー(不出走ではあったが、アサティスとの間に生まれた、ウイングアローの母としても知られる。)を生産した。

中でも、アサティスの間に生まれた、サンヨウアローの仔・ウイングアローは、第1回・ジャパンカップ・ダートを制覇した、鹿毛サラブレッドある。

 

それ以降、Mr.C.B.ミスターシービーの種付け能力が低下したりしていたので、1999年(平成11年)・秋の種付けシーズンをもって、Mr.C.B. ミスターシービーは、1986年(昭和61年)2月の供用開始以来長く行われてきた、種牡馬生活を引退することが、発表されたのである。

 

Mr.C.B. ミスターシービーは、1991年から繫養生活を送った、レックススタッド種牡馬厩舎を退厩、馬運車に乗り、長く種牡馬として生活してきた、雄大な大地の北海道を後に、馬運車で功労馬として新生活を送る、千葉県・成田市・本城の、千明牧場・三里塚分譲へレックススタッドを後にした。

(函館港~青森港間はフェリーで車両航送された。)

 

グッドルッキングホース Mr.C.B. ミスターシービーは、2000年1月から、千葉県・成田市・本城の、千明牧場・三里塚分場で、功労馬として、母・C.B.QUEEN シービークインと、グルームドウターと一緒に、余生を送り、同年12月15日・蹄葉炎による衰弱のため、牡・20歳(人間に例えれば、60~70歳前後)で逝去されるまで、20年間の生涯を全うし、種牡馬として繫養生活を開始した、1986年(昭和61年)には、顕彰馬にも選出されたとのことである。

 

僕の心の中では、競走馬として、活躍した頃の、Mr.C.B. ミスターシービーがいる、今後共、天国で安らかに眠っている、Mr.C.B. ミスターシービーを見守っていきたい。

 

グッドルッキングホース・Mr.C.B. ミスターシービーの、更なるご冥福ををお祈りする。

(終)