皐月賞制覇して、三冠競争の臺二関門の、第50回・日本ダービーに、駒を進めてきた、ミスターシービー(Mr.C.B.)
グッドルッキングホースであり、二代目でもある、ミスターシービー Mr.C.B.が参戦する、4歳馬(現・3歳馬)が対象の、重賞競走 日本ダービーだが、実は、ブライオリーパークの仔として生まれた、初代が、昭和12年(1937年)4月29日に行われた第6回に出走させた経緯があるが、この時は、日本ダービー馬史上初、初の牝馬として優勝した、ヒサトモの10着に敗れたことがある、千明牧場・代表 千明大作さんの父・賢治さんの時である。
千明牧場では、翌年(1938年・昭和13年)には、第7回となった、日本ダービーをスゲヌマで優勝し初の優勝馬に輝いた他、戦後・1963年(昭和38年)の、臺30回(5月26日)では、メイズイを出走させ、見事に優勝馬に輝いているのである。
1983年5月29日・日本ダービーの当日、東京競馬場は、単枠指定馬になった、Mr.C.B. ミスターシービーを一目見ようと、大勢の競馬ファンらで集まり、正面スタンドには探勝馬券を購入した競馬ファンで一杯になった。
二代目で、ミスターシービー二世号の異名を取り、グッドルッキングホースの異名とっていた、Mr.C.B. ミスターシービーは、二冠を達成できるのか、ゼッケン12番を付けて、パドックに現れた。
Mr.C.B.「カポ、カポ、カポ、カポ、カポ、カポ、カポ。」
当時・単勝1番人気に支持された、Mr.C.B. ミスターシービーという、グッドルッキングホースは、12番のゼッケンをつけて参戦した。
ジョッキーが騎乗し、パドックを周回した、Mr.C.B. ミスターシービーは、東京競馬場の地下馬道を通り、同場の本馬場に入場する。
東京競馬場の本馬場に入場した、Mr.C.B. ミスターシービー。
千明牧場で生まれた男馬という意味を持つ、Mr.C.B. ミスターシービーは12番のゼッケンをつけて、姿を現したのである。
おとなしく歩めた後、ミスターシービーは、返し馬に入り、パカッ、パカッ、パカッ。と走っては、馬場の感触を確かめていたのである。
- 東京競馬場の勝馬投票券窓口には、単枠指定馬として出走する、Mr.C.B. ミスターシービーの馬券を購入しようという、競馬ファンたちで列を作り、12番・ミスターシービーの、単勝馬券を購入しようというファンたちで一杯になり、札幌・函館・福島・新潟・中山・中京・京都・阪神・小倉などの各競馬場の勝馬投票券発売窓口及び、全国にある、場外馬券発売窓口は、単枠指定馬・12番 ミスターシービーの探勝馬券を高ンしようという競馬ファンで一杯になり、50回を迎えた、東京優駿大競争(日本ダービー)は、物凄い観客で一杯の中、ファンファーレと共に、15時30分のスタートを迎える。
- Mr.C.B. ミスターシービーは、12番ゲートに誘導され、収まったのである。
- ゲートオープンと同時に、第50回を迎えた、東京優駿大競争(日本ダービー)のスタートが切られた、グッドルッキングホース Mr.C.B. ミスターシービーは、出遅れ、後方からの競馬になり、前へ進出しようと、追い込み戦法でほかの馬を見ては、ミスターシービーを走らせたのである。
- 臺4コーナーから、直線コースに入り、勝負の時を迎える。
- ミスターシービーは、一気に前に行き、先頭に立つ。
- Mr.C.B.「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」
- ミスターシービーの前に、ライバルの関西馬・2頭(メジロモンスニー・カツラギエース)が襲ってきたがそれでも、ミスターシービーは先頭で走る。
- Mr.C.B. ミスターシービーは、栄光のゴールイン板を通過し、二冠を達成した。
- Mr.C.B.「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒヒヒ~ン!」
- Mr.C.B.「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」
- ミスターシービーは、大きい雄たけびで、いなないた。
ミスターシービーは、引き上げて、地下馬道を通り、1着のほうに入ったのである。
その頃・日本ダービーの終えた東京競馬場の着順掲示板には、1着・12番 Mr.C.B. ミスターシービー(単枠指定馬)の数字は出たものの、競争は、キクノフラッシュの進路が狭くなり、長い審議になったのであり、結果が待たれていました。
長い審議の結果、1万円以下の過怠金(競馬用語で罰金の事。)が、3名で、6月30日までの騎乗停止処分が1名という裁定が下されたとの事である。
Mr.C.B. ミスターシービーは臺50回目の日本ダービー優勝馬になったのである。
Mr.C.B.「ヒヒ~~~~~~~~~~~~ン!」
Mr.C.B. ミスターシービーは検体採取所に、尿を採取するため、来たのである。
Mr.C.B.「ニョロ、ニョロ、ニョロ、ニョロ、ニョロ、ニョロ、ニョロ、ニョロ、ニョロ!」
Mr.C.B.「バシャ~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
Mr.C.B.「ジャ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
ミスターシービーは大きいおしっこ(尿)を出してやった。
ミスターシービーは、東京競馬場の本馬場に入り、口どり式という、記念撮影式に入り、馬主・(株)丸沼温泉ホテル(現・(株)丸沼)及び、千明牧場の代表を務める、千明大作さんらにより、撮影を済ませた。
第50回目のダービーを終えてミスターシービーは、東京競馬場の出張厩舎に戻り、疲れをいやした。
Mr.C.B.「ブルルルルルルルルルル、ブルルルルルルルル!」
Mr.C.B.「ヒヒ~~~~~~~~~~~~ン!」
ミスターシービーは、大きい雄たけびでいなないた。
Mr.C.B.「プ~~~~~~~~~!」
Mr.C.B.「ヒヒ~~~~~~~~~~~~ン!」
ミスターシービーは、大きいフレーメンでいなないたのである。
日本ダービーから一夜明けた、美浦トレーニングセンター。
飼葉桶に餌が与えらていて、モグモグと食んでいた、ミスターシービー。
松山康久厩舎の放牧番場に、Mr.C.B. ミスターシービーを放牧させていて、自由にさせていたのである。
Mr.C.B.「カポ、カポ、カポ、カポ、カポ、カポ。」
Mr.C.B.「ヒヒ~~~~~~~~~~~~ン!」
ミスターシービーは、大きい雄たけびでいなないたのである。
Mr.C.B.「ムフ、ムフ、ムフ、ムフ。」
Mr.C.B.「ウ~~~~~~~~~~!」
Mr.C.B.「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」
ミスターシービーは、大きくて、臭い緑色のうんこ(💩)を落としてやった。
ミスターシービーは、北海道・浦河の牧草で育まれた馬である。
シービークインの一を名乗った、幼年時代、岡本牧場で大きい蹄を鳴らして、過ごした。
シービークインの一(Mr.C.B. ミスターシービー)「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」
シービークインの一(Mr.C.B. ミスターシービー)「ヒヒ~~~~~~~~~~~~ン!」
Mr.C.B. ミスターシービー(幼年時代 シービークインの一)は、雄大な北海道・日高山脈の麓の下で、大きい雄たけびでいななく馬である。
Mr.C.B.「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」
Mr.C.B. ミスターシービーは、大きく臭いうんこを落とす馬である。
Mr.C.B. ミスターシービーは、トウショウボーイを父に、シービークインを母に持つ黒鹿毛の馬である。
Mr.C.B.「ヒヒ~~~~~~~~~~~~ン、ヒヒ~~~~~~~~~~~~ン、ヒヒ~~~~~~~~~~~~ン!」
Mr.C.B. ミスターシービーは、北海道の浦河の空を想い出しながら、大きい雄たけびでいななく馬である。
Mr.C.B.「ムフ、ムフ、ムフ。」
Mr.C.B.「ウ~~~~~~~~~~!」
Mr.C.B.「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」
Mr.C.B. ミスターシービーは、大きい緑色のうんこを出す馬であるのである。
夏風邪に悩まされていた、ミスターシービーは、秋の競馬まで休養を取っていたのである。
東京競馬が終わって、大きく成長した、ミスターシービーが休養していた、1983年8月、夏競馬の新潟競馬場で行われたサラ系3歳新馬戦【現・メイクデビュー・新潟】で、Mr.C.B. ミスターシービーのライバルの1頭である、鹿毛の馬が新馬勝ちを収め、デビューを果たすのである。
パーソロンを父に、スイートルナを母に持った、皇帝馬・シンボリルドルフがそれであり、野平祐二厩舎という、同じ、美浦トレーニングセンターの厩舎に所属するサラブレッドで、Mr.C.B. ミスターシービーとは生産者と産地が、門別シンボリ牧場(北海道・日高振興曲管内・沙流郡・門別町【現・日高町門別地区】と異なる馬で、ゲート試験も受けて合格し、競走馬デビューするに、至ったのである。
Mr.C.B. ミスターシービーには、過去・グランプリ 有馬記念と、天皇賞・春で、2回、皇帝馬・シンボリルドルフと対戦していて、2回とも敗れているほか、カツラギエースとは、皐月賞・日本ダービー・菊花賞・天皇賞・秋で対戦しており、互角の戦いを演じており、現役を引退する1985年(昭和60年)まで通算で15戦8勝の成績を残した記録がある。
長い休養を終えて、1983年10月下旬の京都新聞杯(当時・菊花賞トライアルと呼ばれた、競争。)に、駒を進めた、Mr.C.B. ミスターシービーではあるが、ライバルの1頭・カツラギエースに敗れていて、三冠達成に危うしの声が聞かれる中、同年・11月13日に、行われる「菊花賞」(第44回・いずれも、京都競馬場)に19年ぶりの三冠達成に望みを賭けて、調教に入り、もちろん、初の滞在競馬を京都新聞杯以降、最後の戦いとなる、第91回・天皇賞 春まで続くことになるのである。
(7へ。)