1983年3月の中山競馬場で行われた、報知杯弥生賞(現・報知杯弥生賞ディープインパクト記念)の馬場は雨が降った後か、重馬場での競争となり、前日の金曜日までに仕上げられた、ミスターシービーなどの出走馬たちは、パドックでの周回の後、本馬場に入場する、地下馬場を通って。
このころから、ミスターシービーが、単枠指定馬としての出走をするようになる、このミスターシービー(みすたあしいびいい)の単枠指定馬での出走は、同馬の現役引退まで続くとのことでした。
共同通信杯4歳ステークスを制覇して、駒を進めたとはいえ、ミスターシービーには、初の重馬場の挑戦を受けることになる。
スタート地点に立ち、輪乗りを受ける、ミスターシービーも、4歳の男馬になったとはいえ、果たして、弥生賞を制覇することが出来るのか。
Mr.C.B.「ブルルルルルルルル。」
Mr.C.B.「ヒヒ~ン!」
ゲートが開いて、スタートを切った弥生賞ですが、ミスターシービーは出遅れ、後方からの競馬になったようです。
ミスターシービーは、北海道・日高山脈で育った、黒鹿毛の男馬であるのに、なぜ、出遅れての競馬になったのか、想像もつかない、追い込みで走らせたのであるのです。
4コーナーから直線コースをむいて進出してくる、ミスターシービーは、直線コースで大きく伸びて先頭に立った。
Mr.C.B.「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」
Mr.C.B.「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒヒヒ~ン!」
ミスターシービーは、大きい雄たけびで勝利のいななきを、鳴らした。
Mr.C.B.「ヒヒ~~~~~~~~~~~~ン!」
ミスターシービーは、浦河の牧草を食んで大きな男馬である。
Mr.C.B.「ヒヒ~ン、ブルルルルルルルル。」
検体採取所にミスターシービーは入り、尿を取っては、体を整えたのである。
口どり式という、記念撮影式には、馬主さんらが出ては、ミスターシービーの勝利写真を収めていた。
ミスターシービーは、同じ中山競馬場で行われる競争で、牡馬さん間競争の第1関門・皐月賞に挑戦する。
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